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合資会社 柴田酒造場

代表社員 柴田秀和
444-3442

愛知県岡崎市保久町字神水39番地
TEL: 0564−84−2007 
FAX: 0564−84−2785

日本酒は搾った時から熟成にかけて色々な"顔"を見せてくれます。酒が生まれたばかりの垂れ口の時点では、微炭酸を含んだフレッシュな味です。冬に造られたその同じ酒が、タンクの中で夏を越し、秋口になると深い熟成の味わいとなります。色々な性格のお酒があるのですが、早熟な酒は早めに出荷し、若目の酒は一年あるいは二年寝かせるとうまく熟成し、良い味を醸し出します。少しやんちゃな酒でも蔵にとってはそれぞれの愛着があり、味が落ち着くまで出荷を待ちます。そんな意味合いも含め、色々な酒を相手に最高の状態で、お客様にお酒をお届けするのが私達の使命であり、喜びとするところです。


杜氏 高橋 浩二
副杜氏  
蔵人  柴田 幸夫
  大山 博
   

 


柴田酒造場は町の北部、作手村との境にある下山地区の保久の神水というところに存在します。創業は江戸時代後期の天保元年(1830)で、当時、庄屋で地主でもあった柴田家が余剰米を用いて酒を造り、それを売り出したことに始まります。明治31年に蔵が火事に遭った時、樽の中の酒が流れ出し、蔵近くの川を伝って遥か下流の岡崎市まで流れ着いたことがあり、この時川に沿って暮らしていた人々は、この山奥に造り酒屋があることを知り、これを機に「孝の司」の名が広く知れ渡ったという逸話があります。

 

江戸期酒醸造業は、宮崎二軒と下山一軒である。そのうち近代まで続いたのは下山一軒のみである。下山の酒醸造は、天保年間、柴田要左衛門が創始という。明治初期の生産高は六百石で四斗樽,一斗樽、五升樽等に詰め、「運送」と呼ばれる荷馬車で、岡崎、大沼、作手、形埜に出荷した。
明治三九年(1906)柴田平三郎、柴田誠次郎、高木田浅治郎、柴田直吉の四名が山保合資会社を設立し、柴田家の酒醸造の事業を受け継ぎ、酒名「孝の司」を登録し、生産高三百石で経営を始めた。その後の生産高は全体では増加傾向で、今に至る。

なお、杜氏は五人一組で、「大将」とか「オヤジ」『親ッツァン」と呼ばれる総責任者と「こうじ屋」「もと屋」『精米屋』『働き手」と呼ばれる人たちがいる、昭和初期、一級酒一升一円から一円二十銭のころ、杜氏の給料は一日八十銭から一円四十銭だったという。かつては碧海や知多、新潟からやってきたが、現在は地元杜氏である。
                                   『額田町史」より


酒名の「孝の司」は、年老いて、病気がちな父親と暮らす働き者の孝行息子が、酒の湧き出る泉を見つけ、酒好きの父親のために毎日汲んで飲ませていると、やがて父親も元気になり・・・という、民話「養老のいずみ(滝)」にちなんだものであります。

 


孝の司の蔵の住所は「神様の神に水」と書き、神水(かんずい)と読みます。神の水の如く湧き水の豊富な所であり、蔵の後方に控える小高い山の中に数箇所の井戸を設け、そこから直接水を引き込んでいます。夏でも驚くほど冷たいというこの井戸水の水質は、硬度が0.2の極めて低い軟水であり、非常に口当たりのよいマイルドな水になっています。そのため、お酒を買いながらお客様が、お茶やコーヒーや御飯を炊いたり、料理用の水として汲みに来られます。単純な濾過で汚れを取り除く程度で十分に酒造りに適合し、自然のままに仕込み水として活かされています。

 




保久町は愛知県の南東部、岡崎市の北東に位置する町です。この地域は赤石山脈の末端にあたり、町の面積の90%以上を山林が占めています。標高700M内外の緑の山々の合間を乙川、男川などの澄みきった清流の数々が流れ、町全体が豊かな自然美にあふれています。孝の司は、下山地区の保久神水に存在し、岡崎ICから約30分、豊田IC、音羽蒲郡から約50分の所に位置しています。